酷い真実が色気を作る色気というのはどのように作られるのだろう。赤ん坊は色気なんかないのに、どうして年を重ねると、色気がある人間とそうでない人間とにわかれてくるのか。そして、どうして綺麗な色気と毒のある色気があるのだろうと、ずっと不思議だった。 それが昨日、ある人の話の中で、答えにぶつかったような気がした。 彼女は言った。 「酷いことだとわかっていても、それが真実なんだよね。」 酷い真実。その言葉を聞いて胸がどきっとした。 優越感に浸ること 差別心を持つこと 劣等感を抱くこと 裏切りにあうこと 守られない約束や 愛されないという事実 そういう世の中や自分の中にある、酷くて汚い、でも真実でもある、闇。 その闇と戦う人もいる。 その闇に飲み込まれてしまう人もいる。 そして、色気というのは、闇を受け入れた時に作られるのではないか。 抗うのではなく、同調するのでもなく、ただ、受け入れたときに。 私は、本当は、色気なんかなくてもいいから、酷い真実なんか受け入れたくない。 酷い真実を見るのは、やっぱり痛いから、闇を無視して、綺麗なことだけ見ていたい。 でも、そうやって生きていくのも、限界があったり、 年とともに、私自身のキャパが広がったこともあって、 少しずつ、酷い真実を見つめられるようになってきた。 それと同時に、色気が出てきたね、成長したねとも言われるようになってきた。 それは、嬉しいと思う半面、少し切ない。 酷い真実に気づかないでいられたら、色気なんかなくても、成長なんかしなくても、どれだけ幸せだったろう。 でもそのことに気づいてしまった以上、これからも私は変わっていくだろう。 いつかは、酷い真実を酷いとも思わない人間になっていくかもしれない。 これからどうなるかはわからないけれど、今は、せめて酷い真実の痛みから逃げずに、その痛みを抱えながら、生きていたいと思う。 ジャンル別一覧
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